好評だったNHK大河ドラマ「江」が終わり、いよいよ平清盛の登場です
この越前国は、平家一門とのつながりがある土地柄である
どんな形で、平家一門が放送されていくのか楽しみです。
越前には、平家落人伝説が多く残されている
足羽川に沿って走る、国道476号線を池田町より福井に向かってはしる
福井市下折立集落を過ぎると、左手赤谷川に沿って舗装された道路を2kmほど
車で奥地へ入ると、平家落人伝説の残る赤谷集落に着く。
村が栄えていたころは、80軒の民家が少ない平地を利用して
棚田で米を耕作して生活していたとういう。
この赤谷地区は、平清盛の子息の重盛の嫡子維盛が、倶梨伽羅合戦に敗れ
木曾義仲に追われこの地に隠れたという、しかし一説には、維盛は平家滅亡後
入水自殺したという説や、紀伊水道を逃走して身を隠したなど様々な説が残されている。
赤谷集落から先の道路は未舗装で通行止の標識が立っているが、ここより2km奥に入った
鯖江市と福井市の隣接地横谷地区といわれる地区に、最初に平家一門はやって来たという。
ここは平地であり身を隠す場所としては安全な場所であった。
ここからは、一乗山に至り赤谷峠を越えれば鯖江市上河内にでて(鯖江市河和田町)
一乗谷、朝倉遺跡へと通じる。
この場所は守るによし、逃げるに良い隠樓地であったと思われる。
赤谷由来記によると当村の儀は、平重盛公の嫡子維盛卿の陰樓地で、その子孫が増えて
赤谷村を作ったという、平家の赤旗をもって赤谷を号したという。

赤谷家 家紋(向い蝶)
足羽郡美山町赤谷地区(現福井市赤谷町)には「平家さま」と呼ばれている巻物が
残されている。「福井意外史」によると内容は壇ノ浦の平家滅亡後、ある武将を乗せた
船が熊野灘に漂着、大和国から越前国へ逃亡してきたということを書き残したものである。
「平家一門、都より出陣に及び大合戦となり打ち破れ一門は海に沈み候、この時一人の僧が夢に
現れ、観音経を詠みあげれば 以後剣難から逃れられようというものであった。
舟は熊野沖に着きこれより大和国宇多郡龍門の滝にぬけ出たが、その後源氏に追われ
山に伏せ野に伏せて逃亡の生活の末、越前国大野まで来た。その後僧の教えにより
この山間に隠れ、観音経を唱え一生を終えた。この事を平氏の子孫は忘れず、
これを拝し日暮らしするように」と解読できるという。
赤谷地区に残る伝説によると、逃れてきたのは維盛だという。
史実上、平家は清盛、重盛 維盛と直系が続くが、重盛の死後維盛ではなく重盛の弟
宗盛が棟梁となって行く。維盛は幼少の頃から容姿端麗で女官から「桜梅少将」ともてはやされ
武将として適さなかった様で、水鳥の羽音で源氏の軍勢と間違えた富士川の戦いで逃げ出したり
木曾義仲と倶梨伽羅の合戦に敗れ敗走した時の総太将で、
戦いとはかけ離れた人物であった様である。
平頼盛卿御廟石柱 後ろは山が迫り断崖となっている
その後平家は西海に沈んたが、維盛の行方は不明でその人生はナゾが多い。
史実壇ノ浦の合戦で入水を図った建礼門院が助けだされ、大原寂光院で出家して
平家の菩提を弔ったように、平家一族は全滅したのではない。


頼盛の兜仏と言われている 掌に乗る小さな御尊仏
赤谷家は平家45代目を称し、維盛の守仏一寸八分の兜仏と十一面千手観音を守っている。
同家に伝わる話によると、維盛は従者7人を連れて赤谷にやって来て、
僧となり余生を送ったという。
維盛の遺骸は屋敷内でダビに臥されたという。昭和30年赤谷地区で県が林道を工事した時
黒焦げの人骨が出土した、この場所は維盛がダビに臥された場所と伝えられ、笏谷石の小さな
祠があった場所のすぐ近くであったことから「平家さま」のお骨と信じ、
村人はこのお骨を祠に納め守っている。
現在字西谷、平家壁がそそり立つ中復に祠は安置され、これを「平家堂」と呼ぶ。
国家の重大事があると、この扉が自然と開き平家さまがお出ましになるという。
この扉は戦争中、常に開いていたという。
さて今回の東北大震災など日本の一大事にあるこの時、石戸は開いているだろうか。
しかし時代と共にこの堂を拝する事はできない、又一族以外がこの堂に近づけば、帰りには
雷鳴がとどろき大雨が降るといわれている。。
村中には天満神社がある。
字城山の白山神社と字平家壁、平神社祭神(維盛卿)
泰澄大師作と伝えられる薬師如来と維盛の一寸八分の兜仏釈迦如来を祭っていたが、
時代を経て 八(天)幡宮を合祀して祭り、三祭神として祭って有るという。
今にも崩れそうな、赤谷天幡宮
現在赤谷地区には3軒の民家が、今も平家の誇りをもって生活している。
狭い額ほどの土地に平家は隠れ住んでいた。谷からの水を飲料水として使い
棚田を耕作して食糧を自給し、身を隠すのには絶好の場所であるこの場所で、
次なる世代のために黙々とチャンスを狙っていたと思われる。
後年この赤谷部落からは多くの武将を排出して
武芸を指南したり、戦いに参戦するなど活躍している。
福井県には多くの平家落人伝説が残されている。この赤谷地区に
やって来た人物は維盛でなかったかもしれないが
間違いなく、平家一門の何某かが落ちのびた場所である。
850年以上過ぎた今日、埋もれていく歴史を埋もれさせないために
多くの人たちに伝えていきたい。
来年の大河ドラマ「平 清盛」に合わせ、
この福井県から平家一門の活躍を報告できたらと
思っています。
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